未来の空間に杭を打つ

つれずれなるままの日常と妄想

例えばと、考える事は無駄?

割と考えすぎる傾向にあるので、何にしても

 

例えばこうだったら・・・

例えばああだったら・・・

 

と考えこんでしまいます

 

いやいやいや、その「例えば」はまだ発生してないから!

 

発生してないことに悩むのは無駄!これはまったくもって無駄!いつも後になってなんだその時間無駄だったじゃないかと思い知らされます。

 

 

 

でも、「例えば」と考えてもいい事はあるんですよ

 

「例えば」夏休みなにしようか?とか

 

それは未来のいい事を考える考えること!想像すること!

こちらは想像しても害がないどころか

未来への道しるべにもなってくれます

 

最初の「例えば」と後からの「例えば」の何処が違うのかといえば

多分、心の明るさです

 

明るい心で思った「例えば」は有用だけれども

暗い心で思った「例えば」心の重荷になるだけ

 

キリストさんも言っているではないですか

「思い煩うな」と

 

他にも多くの偉人たちが似たような事を言っています

つまりは、暗い心で思う「例えば」なんて捨ててしまえばいい

 

人間も軽く生きられたら良いですね

心を軽く!

鳥のように生きたいものです!(^^)!